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@PROFESSIONAL USERS クリエーターインタビューby LAVA  
34 気がついたら使っているメモリは全部バッファローでした
本人写真
本人写真
足立典 VJ

足立典生(あだち のりお)

昭和40年生まれ、2歳〜4歳まで父の仕事の為、インドネシアのバンドンにて生活をおくる。
14歳からベースを始め、17歳からスタジオミュージシャンの現場アシスタントを始める。プロ志望として活動していたが、青山学院大学在学中に怪我で断念。
卒業後ファッションメーカーに入社し、プレス及び商品企画の担当を経て、キャステング事務所へ転職し、広末涼子や小雪等のプロモーション及び契約等を担当する。
その後、大手広告代理店の新規プロジェクトとして発足された会社へ転職し、アーティストのプロモーションやデジタルコンテンツのアグリゲートを担当する。
新しいアーティストプロモーションを模索し、映像を使用したプロモーションを始めたのがきっかけでVJを始める事になり、現在に至る。

▼映像演出した主要なアーティスト
後藤次利さん・斉藤ノブさん・藤井尚之さん・KONTAさん etc...

――幼少の頃はインドネシアで過ごしたそうですが?

父が口腔外科の医者で、インドネシアでその医療の技術を教えてくれないかと国からの依頼があって、家族みんなでインドネシアに移りました。僕は2歳から4歳までをインドネシアで過ごしました。ただこれが僕のいい加減な人間の基盤を作ってしまいまして(笑)、まずインドネシアでは両親は僕の子育ては殆どしてくれなく、変わりに現地の口腔外科医が僕を育てたんです。何でだかはよく分からないんですけど。当時のインドネシアはオランダの植民地で、僕らはバンドンという場所にいました。とてもヨーロッパ的な場所でした。とにかく国の依頼で来たので、家は大きいし、現地の人はその敷地には入れなかったし、もう僕はやりたい放題で遊んでました。ただまわりに僕をしかってくれる人はいないし、育ててくれた人も現地の人だから会話はままならず。それでそのままそこにいられれば良かったんですが、日本に帰る事になって。4歳の時点で日本とインドネシアのギャップを感じてしまったんです。季節感なく育ったので雪を見てびっくりしたのも覚えています。一番大きかったのが言葉です。日本語が変なんですよ、僕は(笑)。一番言葉を覚える時期にインドネシアで現地の人とずっと過ごした事で、インドネシア語も日本語も中途半端になってしまい、そのまま帰国ですからね。ましてや向こうでの親友は犬でしたから(笑)。

インタビュー画像1

足立さんがVJをする際のセットです。左側のウインドウズ機の中に最新のバッファローのメモリが積まれています。


――(大笑)それは大変だ。当然日本ではなじめなくなりますよね。

はい、日本語がみんなに通じないんですからね。他の子供達とは確実に差別化されているのが分かりました。それが小学校の5〜6年生ぐらいまで続きました。そこで覚えたのが、人がどういう感覚で僕を見ているのかを言葉で判断するのではなく、人の空気感で判断するという事です。それはとても動物的です。ま、犬が友達でしたし(笑)。でも実はそれが今の自分の映像での作業の基盤になっているんですよ。

――いや、これはとても興味深い話しですね。僕にも通じる感じがしますよ。人の空気感が読めるって、実はクリエイターにはとても大事な事だと思うんです。

そうですね、ただ当時はもうそんな自分が嫌で、1回自分をリセットする必要があるなと思いました。

インタビュー画像2

VJ中の足立さん。彼のプレイは本当に緻密で、片時もステージ上での動きを見落としません。間違いなく数少ないプロVJのうちのひとりでしょう。

――足立少年は変わっていけましたか?

音楽が僕を救いました。兄がギターを習い始めた事で、僕も何かしたいなって思うようになって。実は父はセミプロのジャズベーシストでもありました。たまたま父がエレキベースを買ってきて、それを使って練習しはじめました。ただベースってギターと違ってなんか音が低いし、メロディーは弾けないし、でも響く音はなんかいいなって思って。その当時FMでウエザーリポートを聴いて「お、このベースは何か違うぞ!メロディーを弾いてるぞ!」って強烈な印象を受けたんです。

――ジャコパスの登場ですね。

はい、やられました。それで夏休み中アルバイトをしてベースや機材を買って真剣にベースにのめり込みました。たまたま僕がアルバイトしていた電気屋さんの知り合いがプロのベーシストの方を紹介してくれて、会ってみたら僕の事をとても気に入ってくれて、大学の途中まで彼の弟子のようについて回りました。今、僕がビッグアーティストの方達と仕事がやれているのも、ミュージシャンの心理だったり、現場の空気を早い時期に知る事が出来たからだと思います。感覚的にミュージシャンとのコミュニケーションがとれるようになっていたんです。これは幼少時代の感覚が研ぎすまされていた経験により成立しているものだと思います。


――なるほどね、よく分かります。

それでそのままミュージシャンになろうと思っていたんですが、実は大学3年生の時に指を怪我してしまい、これが致命傷でベーシストはあきらめなければならなくなったんです。他の事をしようと思い、知り合いのファッションメーカーに就職しました。7〜8年はそこにいましたが、実は革のアレルギーになってしまい、2回も入院する事になって辞めました。その後はCMのキャスティング会社に行きましたが、これまた自分のやりたい事とは違ったので辞めました。ただ当時知り合った大手広告代理店の人から誘われて、音楽のデジタルビジネス、今で言う音楽配信の仕事をふってもらったんです。当時はまだ配信という言葉は人々にはピンと来ていなく、僕がやっていたのはデータを管理するIT側と、ミュージシャンの間の隔たりをつなげる通訳的な仕事でした。そこでまたもや幼少時代の技で、互いの心理を読む事が出来たので、大変でしたがとても上手く行きました。

――その頃ぐらいですか、パソコンを使いだすのは?

そうなんです。当時パソコンは大嫌いでしたが必要にせまられ使うようになりました。当時ミュージシャンの方達は大体Macユーザーだったので、そのデータをWindowsベースに変換しなければいけませんでした。とにかく忙しい仕事だったので早く作業を進める為にタイプ用ソフトを買ってブラインドタッチの練習もしました。そして僕は営業をやっていたんですが、誰かアーティストをデジタル配信する場合、どうやって売っていたのかと言うと、当時はiPodが出て来た時で、プロモーション用の音源は全部そこに入れるんです。それで配信系の会社に営業に行くわけですが、音専紙は駄目になっていてインターネットが上り調子の時期だったので、CDを置いてくるというプロモーションはやめました。iPodを取り出し、その場で聴かせるんです。プロモーションの効果はとにかく熱いうちに聴かせる。そして宣伝材料を置いてくるのではなく、僕はノートパソコンを持っていって、ジャケット写真や、ライブ写真等をデジタルベースにして、今で言うホームページみたいなものを作って見せるんです。始めた頃は静止画でしたが、技術が上がるとスライドショーで見せたり。配信の営業時に自分のノートパソコンを使って相手に営業する事で相手の反応が良くなってきたんです。常に相手のリアクションを見ているとまるでステージ上からオーディエンスを見ているような感じでした。派手に作り込めば見ている方も楽しくなる。プレゼンも上手くいく。それで気付いたのは、僕はずっと音楽をやりたいと思っていたけど、指を怪我して出来なくなった。でも音を出さなくても音楽を表現出来るじゃないかって。

インタビュー画像3

これがバッファローのメモリ、D2/N533-G1G。安定性あるメモリだと終始おっしゃってました。


――その通りですね。映像を相手に見せるにはリズムもアイデアも必要ですからね。

はい、それで今度はもっと大きな画面でプレゼンしたいなと思い、TVモニタを使ったり、プロジェクターを使ったりと、プレゼンが進化していきました。そうこうしているうちにあるアーティストの目に止まり、自分達のライブのバックの映像を作って欲しいと頼まれました。ノウハウは全く分からないけど「やってみたい!」と純粋に思いました。これがVJになる始まりですね。

インタビュー画像4

Macにも積まれたバッファローのメモリです。彼の映像世界をしっかりバッファローが支えているんですね。

――足立さんのVJとしての在り方を教えて下さい。

VJと言えばクラブで映像を流す人というのが一般的な解釈ですよね。でも大体のVJって自作を見てもらえる場所がないからクラブで流す。彼等の大半は自分達の作品を見て欲しいという意識が強いと思います。それと機材に突出している、テクニックがあるとか、そういう考えの人も多いです。僕はミュージシャンで、映像作家ではない。自分の作品を発表しているのではなく、場をいかに楽しませ、盛り上げるかを考えています。スクリーンの中で完結させるのではなく、箱全体を考えています。僕は自分の事をヴィジュアルプレーヤーだと思っています。ヴィジュアルプレーヤーは絵を出してはいますが、自分は音楽をやっているので、光を使って音を奏でているんです。あくまでも主役のアーティストと同じ気持ちでやっています。彼等の匂いや雰囲気を探知して表現していきます。これはプロとしてのハートの問題ですね。

――なんかますます次回のイベントが楽しみですね、足立さん。

LAVAさんとやっている時も常に同じ気持ちですよ。


――ありがとうございます。では足立さんが実は昔から愛用しているバッファロー製品の話に移りますが、今はメモリを使ってますよね?

はい、僕はVJをする際に2台のノートパソコンを使用していますが、新しいメモリはバッファローのA2/N667-2G(2GB)とD2/N533-G1G(1GB)をWindowsの方に使っています。Macのほうにもバッファローのメモリが積んであります。メモリはいわゆる目には見えている所で動いているわけではありませんが、最も大事なものです。僕のやっているVJというものも目には見えてますけど、それが主役ではない。メモリはパソコンの主体ではないけど、不可欠なもの。不安定では困ります。以前は他社メーカーのものを使ってましたが、現場でトラブルが起きた事がありました。バッファローに変えてからはトラブルが起こった事はありません。実はブランドを気にしてメモリを買っていた事は昔からないのですが、気がついたらメモリは全部バッファローでした。自然とプロとして不安定なものは買わなくなっています。無意識に自分の経験値で安定性があると感じたものを買っています。それがブランド力だと思うんです。パーツとしての信用力だと思う。ここで言うブランド力とは、メモリは見えないのでかっこよさとかは関係ないので、信頼感、性能だと思います。1回信用して大丈夫だと思ったものはめったに変えません。それをずっと使っていくのがプロとしては当たり前ですよね。不安感というものはバッファローには何もありません。値段も安すぎないし、長年あるメーカーだし。パーツはある程度使ってみないと分からないですよね。なのでメモリやハードディスク等は過去の経験から何のトラブルも起きずに、常に安定感があるので、本当に単純ですがバッファローはずっと使えます。それと僕は長年バッファローのTVキャプチャ「PCast」を映像の演出の際に使っています。これも手放せないパーツのひとつです。他社のものと比べると、映像と音のディレイが一番少ないのがバッファロー製品でした。これも長い間使っていますが全く壊れませんね。

――分かりました。VJを目指す人は最近多いと思うんですが、足立さんから彼等にメッセージをお願いします。

死ぬ程遊ぶ、それも徹底的に。そこで学ぶ事が必ず生きてきます。感じ取る事を大切にしていかないと人感じさせる事は出来ません。僕は音楽を作っているつもりでVJをしていますが、人それぞれやり方は違いますよね。色んな事を言う人も多いと思いますが、自分を信じて、自分のキャラクターを大事にして下さい。

――今日はどうもありがとうございました。

インタビュー画像5

そして長年足立さんが使用しているバッファローのTVキャプチャ「PCast」。これを使用して数多くのショーを演出したそうです。



料理写真

 

クリエイターの好きな料理“この一品!”
「じゃがいものローズマリーオイルがけ」:足立さん曰く「僕がVJになると決意した頃に通いだしたお店が渋谷にあるラウンジ"VIVELAVIE"(ヴィヴラヴィ)。ここに通う事で感性が研ぎすまされていったんです。クリエイティブの原点はヴィヴラヴィです。そしてここのじゃがいも料理は最高。」との事です。実はLAVA氏も昔から行っている大好きなお店でした。

インタビューの様子もご覧下さい。
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Windows Media Player(250k)
Windows Media Player(700k)

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